KO N NI CHI WA, hello and welcome to my blog. It is my pleasure to introduce my self to you all. Sit back, relax and ready your favorite cup of coffee and please read on.
My name is ISHIYAMA Joe. Single, gentle, well-fit 6'10", open minded Japanese male. I am originally from Fukushima-city, Fukushima-prefecture. More than a decade ago, I have moved to Tokyo-city.
I am proud to announce my job is full of variety. I am a writer, a media consultant, a marketing planner, TV program and exhibition event and website producer and so on. Moreover, my eager to expand my job-field with you in someday.
- - -
When I was still a student of (Department of Economics) Fukushima Uni. , I have established the first cross-industrial association society which called "Fuzzy Club" in the districts. It was the first flint-spark of dealing with a planning and administration through many exhibition events at that time.
Then I moved to big City, Tokyo, and I have learnt the basics of planning such as marketing, communication in General Pia Institute and Culture Co,.Ltd. Pia Institute is well-known of the biggest computerized networking ticketing as well as its publishes. It was a great opportunity and left great effects to my career at Pia. Although my all-time eager and aim was to leave the firm and being independent. So I did!
Mainly I was dealing with communication strategy in major advertising agencies, and such as United Nations of Asian-Environment NGO "OISCA International". Just to give you a tip of source, "Environmental calendar" was prized and acquired by Environmental Minister of State.
From year 1999, my enthusiasm is fueled by enormous variety of work. To start with, "Bible X (pronounced Bible Ex) - Ura-Harajuku* complete guide" (Natsume Shobo Publishing)" was my virgin work as an author. This uniquely analyzed book contains full of "Ura-Harajuku" youth culture and its myth.
[*"Ura-Harajuku" means Off-Harajuku. Now-a-days world wide recognizable BATHING APE is where it started at.]
It flickered my interests and further more activity as a writer came along with, website produce of Tokyo Electric Company in Internet Exhibition (a.k.a. INPAK,) as well as produce business on TV programs such as BS Asahi "Hello Neighbors."
Recently, I have expanded even more of my activity. While I associated with advertising agency and productions, I, Joe ISHIYAMA as a "master of communication consultant, and its planner" deal with border-less type of industry and field.
From the year 2004, produce and actually do business coordinate for variety of industry. Steady my foothold in Tokyo, and focus to major Asian cities; Shanghai, Beijing, Hong Kong, Seoul, Singapore, Taipei and more of East Asia. I might be flying longer than a part-time cabin crew (joke!)
- - -
Phew! You got to know me quite well, now. Thank you all for reading my page. If you find me interesting, please do not hesitate to send me an Email, flowers and anything SWEETS :) Ah, mind you, I am more than happy to receive much gift from you all. So, if you would like to send signed blank check and/or Platinum Amex, just let me know :) Ha ha ha...joke.
By the way, no matter what language speaker you are, our friendship and/or partnership is just around the corner. So, please do not worry. At least, I know that you are interested in my work and/or my life-work, that REALLY counts.
Again, thank you for your time and hope to get in touch with you soon.
石山城ブログ / ISHIYAMA Joe Blog for Blogger
EXCELLENT COMMUNICATION STRATEGY
Communication Planning & Products for Asia
Tokyo / Japan
This blog was made for English speakers. If you want more infomation about me, plz check my Official site > http://www.ishiyamania.com
2006/09/23
2005/09/10
石山城 プロフィール
石山城 ISHIYAMA Joe
川崎市在住。福島県福島市出身。
メディアコンサルタント、マーケティングプランナー、テレビ番組やイベントやウェブなどのプロデュース各種、著述業。
- - -
福島大学経済学部在学中、同地区初の異業種交流会【Fuzzy Club】を設立する。そこで数々のイベントの企画と運営に携わり仕掛け側の面白さを覚える。
その後上京し(株)ぴあ総合研究所で、マーケティング、コミュニケーション等、プラニングの基礎を学び独立。
主に、大手広告代理店や国連環境NGOなどにおいてのコミュニケーション戦略に関わる(代表作として、環境大臣賞を獲得した【環境カレンダー】などがある)
99年から、若者文化を独自の斬り口で分析した著書【Bible X(バイブルエックス) 〜裏原宿完全ガイド〜】(夏目書房)の初著書を皮切りに作家としての活動や、インターネット博覧会(通称:インパク)での東京電力サイトなどのウェブサイトプロデュース、BS朝日における【Hello Naighbors】などのテレビ番組など、プロデュース業も開始する。
現在、業種や業界を問わず【コミュニケーションに関わるコンサルタント及びプランナー】として広告代理店や制作プロダクションと関わる傍ら、2004年度から東アジアの主要都市(上海、北京、香港、ソウル、シンガポール、台北など)に活動拠点を広げ、ビジネスコーディネーティングと各種プロデュース活動に携わり、東京を中心にアジアに飛び回る日々を過ごしている。
2005/09/09
楽しくなければ仕事じゃない。 〜働くすべての人へ〜
こと企画っていうことに限定すれば、「PLAN(企画して).DO(やってみて).SEE(見る)」とか、「いやいや、DO.SEE.PLANだよ」とか、「なにより大事なのはAIDMA(Attention(注意) Interest(関心)Desire(欲求)Memory(記憶)Action(行動))だよ」とかとか…、巷には企画にまつわる本や話がたくさんある。
もしこれから「企画」に携わろうと思っている人がいたら、 現状、いわゆる企画することを商売にしているボクから見ても、まったくもってどれを読んで良いものやら分からないだろうなぁ…とときどき思う。
具体的な企画書の「書き方」や企画することに対する「考え方」や「捉え方」というのは、ボクのサイトとパートナーシップサイトにしてもらっているわきさんのところ(が一番参考になるとボクは思う)や、本屋のビジネス・ノウハウコーナーにある出版物に任せておくことにして(笑)
ボクは、ボクの一番のモットーとしていて、ボクのホームページのコンセプトになっている「Learn pleasure and Open innovation.〜楽しくなければ仕事じゃない〜」という切り口で書いてみたい。
まずは、広告業界にかかわらず、そして、日本の大部分を占める中小企業に働いている方であっても、個人事業主の方であっても、いや、大袈裟に言えば「いち個人」であっても、まず始めに「『企画!』と大袈裟に、大上段に構えることをやめる」ことから提唱してみたい。
そう、一番大切なのは「大袈裟に難しく考えること」ではなく、「どうすれば、気持ちよくなれるか?」を大前提として考え始めてみたいのだ。
で、気持ちよくなることを望むのは、個人も大企業の方も変わらないんじゃないか、っていうロジックで提唱しているのが、ボクのコンサルティングのメインモットーなのだ。>Learn pleasureの意味。
そして、それはイコール、ちゃんとロジカルに(ものごとを立体構造的に)考える思考回路を持ち、捉える…ことができるかどうかってことがとても関係がある。簡単に言えば、風が吹けばなぜ桶屋が儲かるのかを考えるかどうかってこと。
そして、言葉遊びに聞こえちゃうかも知れないけれど、「ボクら人間はどうなれば一番気持ちよいのか?」っていうことを考えれば、 本当は快楽の価値観なんて人によって違うから、厳密に言えば「どういう状態が心地よくないか?」という理由を削除していく作業=心地よいんじゃないか?という可能性が最も高い状態、と捉えることが、まず大事ではないか、と。
話が長くなりそうだからぐ〜〜〜〜と省く。
このあたりは価値観が絡む話なので、強引だが、そういうもんだ、と思って読み進めていただきたい。
で、企画を進める上でも、仕事をする上でも、どういう状況が一番心地よくないか?ということをボクなりに検証してみると、「「不毛な作業=意味を見つけられない=これをやり遂げたらどんな楽しみが待っているのか?」ってことや、「いつが終わりで、なにを目的としているのかが見えない」こととか…、 いろいろ考えられると思うんです。
で、改めて、大上段じゃなく「企画する」っていうことを考えると、それは「企てること」「計画すること」「予定すること」とか、(調べてないけれど)そういう意味なんだと思うのよ。ということは、企画とは、
・「WHEN(いつ、いつからいつまで…)」
・「WHERE(どこで、どこからどこまで…)
・「WHAT(なにを…)」
・「WHO(誰が、誰に、誰と…)」
・「HOW(どうする、どんなふうに…)」
・・・・したいのか?っていうことを、あらかじめ計画すること。
そして、
・「WHAT FOR」それを計画するのは何故なのか?=意義と目的、課題の整理
・「BACK GROUND、INTRODUCTION、(どういう状況だから)」
・「MERIT(具体的どう嬉しい結果になるのか?)」
そしてそして肝心なのが、
・「HOW MUCH(いくらかかるの?)」
ということを整理して、提案することだ。
これが、外資だとすると、順番は「なにしたいの?」「いくらかかるの?」っていうことから始まったりするから、日本語は最後まで聞かなきゃわからないけど、英語は主語と述語があって、説明・・・という流れと似ている。
まぁ、いいや。
ちょっと難しく考えそうになったらこう考えるといいと思う。
- - -
例文:「明日、昼ご飯をごちそうになりに、うちの家族全員で、親戚のおじさんの家に、車で、高速を使って、行く予定である」
その為には、おじさんの家まではちょっと距離があるし、明日早々に出かけなきゃいけないので「今日中にガソリンを入れておいた方がいいし、タイヤの空気圧だって確認しといた方がいいナ」っていうこととか、「明日の天気を調べておこう」とか、「家族全員のスケジュールをもう一度聞いておこう。息子は試験休みのハズだ」とか、「おじさんちに急用はないか、今日の夜にもう一度確認で電話しておこう」とか、「ごちそうだけになるのは申し訳ないから、手みやげを用意していこう」とか・・・・こういうことを考えることをロジカルシンキング…というと大袈裟だけど、あることを発端に周囲を考えて組み立てていくことが、企画だけじゃなくて、仕事全体にも、そして、個々人にも一番求められている思考回路なんだと思う。
そう、特別なことじゃないんですってこと。
で、こういうことを一般的には「気が付く」とか「配慮する」とかに属する思考回路なんだと思うけど、それを、「新しいコトを起こそうとするときに、事前に計画・予定すること」、イコール、それが「企画」の、そもそも論なんだと思うのだ。
だから、専門的に言ったら、やろうとしていることは業界でいうところの「〜〜〜〜のシェアを、〜〜〜〜のプランで攻める、マーケティング的な裏付けは〜〜〜〜で、、、、」なんて言い始めるとキリがないんだけれど、肝心なのは、場当たり的でなくちゃんと計画性を持ってコトにあたる、、、こと。
それが、先行き不安なこんな時代だから、一番ボクらが求めている、であるからこそ、企画とかマーケティングとか、コンサルティングなんていう言葉がある意味流行しているのであって、「まずは、こういう考え方を持つ」ということがナニヨリも大事なんじゃないか、と思った次第。
で、あらためて問いたい。
今、その企画はいつやるの?
どこでだれがやるの?
いくらかかるの?
どんなことをするの?
どんないいことがあるの?などなど・・・ね。
- - -
※番外編:・・そう考えるクセがつき始めると本当に忙しくて大変でR。
・今回の北朝鮮訪問は正しかったのか?
・誰が得をして誰が損をしたのか?>
・6月予定だったのに、なぜ、小泉さんは今行ったのか?とか、
・このCMは面白いのか?誰に向けたCMなんだ?とか、
・この製品は何故売れてるのか?なにが新しかったのか?とか、
・ペ・ヨンジュンはなぜ日本でウケたのか?とか、、
ホント、キリがないので、ほどほどにしないと、、
円形脱毛症になりますよ>また、なったみたいです。ボク。 では、今日はこの辺で。
もしこれから「企画」に携わろうと思っている人がいたら、 現状、いわゆる企画することを商売にしているボクから見ても、まったくもってどれを読んで良いものやら分からないだろうなぁ…とときどき思う。
具体的な企画書の「書き方」や企画することに対する「考え方」や「捉え方」というのは、ボクのサイトとパートナーシップサイトにしてもらっているわきさんのところ(が一番参考になるとボクは思う)や、本屋のビジネス・ノウハウコーナーにある出版物に任せておくことにして(笑)
ボクは、ボクの一番のモットーとしていて、ボクのホームページのコンセプトになっている「Learn pleasure and Open innovation.〜楽しくなければ仕事じゃない〜」という切り口で書いてみたい。
まずは、広告業界にかかわらず、そして、日本の大部分を占める中小企業に働いている方であっても、個人事業主の方であっても、いや、大袈裟に言えば「いち個人」であっても、まず始めに「『企画!』と大袈裟に、大上段に構えることをやめる」ことから提唱してみたい。
そう、一番大切なのは「大袈裟に難しく考えること」ではなく、「どうすれば、気持ちよくなれるか?」を大前提として考え始めてみたいのだ。
で、気持ちよくなることを望むのは、個人も大企業の方も変わらないんじゃないか、っていうロジックで提唱しているのが、ボクのコンサルティングのメインモットーなのだ。>Learn pleasureの意味。
そして、それはイコール、ちゃんとロジカルに(ものごとを立体構造的に)考える思考回路を持ち、捉える…ことができるかどうかってことがとても関係がある。簡単に言えば、風が吹けばなぜ桶屋が儲かるのかを考えるかどうかってこと。
そして、言葉遊びに聞こえちゃうかも知れないけれど、「ボクら人間はどうなれば一番気持ちよいのか?」っていうことを考えれば、 本当は快楽の価値観なんて人によって違うから、厳密に言えば「どういう状態が心地よくないか?」という理由を削除していく作業=心地よいんじゃないか?という可能性が最も高い状態、と捉えることが、まず大事ではないか、と。
話が長くなりそうだからぐ〜〜〜〜と省く。
このあたりは価値観が絡む話なので、強引だが、そういうもんだ、と思って読み進めていただきたい。
で、企画を進める上でも、仕事をする上でも、どういう状況が一番心地よくないか?ということをボクなりに検証してみると、「「不毛な作業=意味を見つけられない=これをやり遂げたらどんな楽しみが待っているのか?」ってことや、「いつが終わりで、なにを目的としているのかが見えない」こととか…、 いろいろ考えられると思うんです。
で、改めて、大上段じゃなく「企画する」っていうことを考えると、それは「企てること」「計画すること」「予定すること」とか、(調べてないけれど)そういう意味なんだと思うのよ。ということは、企画とは、
・「WHEN(いつ、いつからいつまで…)」
・「WHERE(どこで、どこからどこまで…)
・「WHAT(なにを…)」
・「WHO(誰が、誰に、誰と…)」
・「HOW(どうする、どんなふうに…)」
・・・・したいのか?っていうことを、あらかじめ計画すること。
そして、
・「WHAT FOR」それを計画するのは何故なのか?=意義と目的、課題の整理
・「BACK GROUND、INTRODUCTION、(どういう状況だから)」
・「MERIT(具体的どう嬉しい結果になるのか?)」
そしてそして肝心なのが、
・「HOW MUCH(いくらかかるの?)」
ということを整理して、提案することだ。
これが、外資だとすると、順番は「なにしたいの?」「いくらかかるの?」っていうことから始まったりするから、日本語は最後まで聞かなきゃわからないけど、英語は主語と述語があって、説明・・・という流れと似ている。
まぁ、いいや。
ちょっと難しく考えそうになったらこう考えるといいと思う。
- - -
例文:「明日、昼ご飯をごちそうになりに、うちの家族全員で、親戚のおじさんの家に、車で、高速を使って、行く予定である」
その為には、おじさんの家まではちょっと距離があるし、明日早々に出かけなきゃいけないので「今日中にガソリンを入れておいた方がいいし、タイヤの空気圧だって確認しといた方がいいナ」っていうこととか、「明日の天気を調べておこう」とか、「家族全員のスケジュールをもう一度聞いておこう。息子は試験休みのハズだ」とか、「おじさんちに急用はないか、今日の夜にもう一度確認で電話しておこう」とか、「ごちそうだけになるのは申し訳ないから、手みやげを用意していこう」とか・・・・こういうことを考えることをロジカルシンキング…というと大袈裟だけど、あることを発端に周囲を考えて組み立てていくことが、企画だけじゃなくて、仕事全体にも、そして、個々人にも一番求められている思考回路なんだと思う。
そう、特別なことじゃないんですってこと。
で、こういうことを一般的には「気が付く」とか「配慮する」とかに属する思考回路なんだと思うけど、それを、「新しいコトを起こそうとするときに、事前に計画・予定すること」、イコール、それが「企画」の、そもそも論なんだと思うのだ。
だから、専門的に言ったら、やろうとしていることは業界でいうところの「〜〜〜〜のシェアを、〜〜〜〜のプランで攻める、マーケティング的な裏付けは〜〜〜〜で、、、、」なんて言い始めるとキリがないんだけれど、肝心なのは、場当たり的でなくちゃんと計画性を持ってコトにあたる、、、こと。
それが、先行き不安なこんな時代だから、一番ボクらが求めている、であるからこそ、企画とかマーケティングとか、コンサルティングなんていう言葉がある意味流行しているのであって、「まずは、こういう考え方を持つ」ということがナニヨリも大事なんじゃないか、と思った次第。
で、あらためて問いたい。
今、その企画はいつやるの?
どこでだれがやるの?
いくらかかるの?
どんなことをするの?
どんないいことがあるの?などなど・・・ね。
- - -
※番外編:・・そう考えるクセがつき始めると本当に忙しくて大変でR。
・今回の北朝鮮訪問は正しかったのか?
・誰が得をして誰が損をしたのか?>
・6月予定だったのに、なぜ、小泉さんは今行ったのか?とか、
・このCMは面白いのか?誰に向けたCMなんだ?とか、
・この製品は何故売れてるのか?なにが新しかったのか?とか、
・ペ・ヨンジュンはなぜ日本でウケたのか?とか、、
ホント、キリがないので、ほどほどにしないと、、
円形脱毛症になりますよ>また、なったみたいです。ボク。 では、今日はこの辺で。
2004/04/01
独立秘話
ボクが某シンクタンクからフリーランスとして独立してから現在までの、
経験してきた人並みな苦労話です(苦笑)ホント、人並みですけど。
こんな内容を書こうと思い立った理由としては、フリーランスって、想像していたより自由だし、想像していたより意外にも苦労した、ということをどこかでまとめて書いてみたいという衝動に駆られたし、また、この話がこれからフリーランスを志す方のために、「へぇ〜」そんなヤツもいるのか、という一助になれば、という思いから。
※本気で「フリーランサーってなんなの?」って思っている方は、パートナーシップサイトであるわきさんのブログ<「フリー*プランナーというお仕事について」>というところがお勧めでベストです。
ではでは。。
石山城 独立の時代〜ぴあ総研を退社して〜
今思えば「ぴあ総合研究所」(※現在はありません)にボクがどうして入れたのか?自分ではその経緯は不思議なモノであった。
それはーーー募集告知もしていない会社へいきなり履歴書と経歴書を送付したあげく、間髪入れず「履歴書を送らせていただいた者ですが、だまされたと思って1度お会いしてください」という強引なまでの面接を取りつけ・・・・気がついたら、結果的にボクは翌週から働くこととなっていたーーーという、今思うとなんとも強引なまでの若気の至りの経緯である。
まぁ、後から事情を聞けば、ちょうど結婚退社で辞める方がいて、募集告知を出そうかどうしようかと迷っているときにボクの怪しい手紙が来て、なんだかおもしろそうだから会うだけ会ってみれば、ということだったらしい。
どうやら人生というのはタイミングらしい。
そんな経緯であったにも関わらず、 ボクはバブル絶好調の時期ということもあり、「なぜディズニーランドばかりが流行って他のエンターテインメント施設は流行らないのか?」という、当時の看板プロジェクトのひとつである「あそびの研究」や、今の横浜桜木町開発に関係する「みなとみらい地域の文化構想施策」等々、多数の貴重なプロジェクトの経験をさせていただいた。
それから、ボクはそのぴあ総研がいろんな事情があった狭間に揺れるのをキッカケに退社した。 その当時、ちょうどバブルも弾けたばかり、という厳しい社会だったのは承知していた。
が、しかし、 いくつかの会社からも声がかかっていたのを鵜呑みにし、辞める時はなんのためらいもなかったのを覚えている。しかし現実は厳しいというのは言わずもがな。突然不景気に襲われ始めたボクが頼るはずの会社たちは皆、いそいそとボクの前から姿を消していった。
そして紆余曲折があり「もう独立してフリーランスになろう」と決心するも、なかなか営業がおぼつかない。それでもいくつかの広告代理店と直接付き合いがあったボクは、知り合いという知り合いを訪ねて回った。1日に銀座と築地を何度も何度も往復した。ちょうど季節は桜が満開であるにも関わらず、ボクの人生の花はすべて散ってしまったような気がするほど全滅だった。
生活が厳しくなってきた。
でも新規の話はいっこうになかった。
ボクは、心機一転し昼間に知人に訪問するのを辞めた。
昼は通常のアポで皆忙しいからだ。そんな時に羽振りの悪い奴がアポイント無しでおじゃまするのも、今考えれば実に辛気くさい営業そのものである。そこで、ここはいっそ「夜、仕事が終わってからたまには遊んでください」というアプローチに路線変更した。我ながらナイスなアイデアだと思った。
しかし、これは本当の理由ではなかった。
本当は生活が苦しかったため、昼は登録制の日払いの可能な肉体労働をした。
それらの仕事は、1日3件の引っ越しや、駐車場整理、工場内作業などだった。。 数年ぬるま湯の生活が続いたあとの肉体労働は本当に辛かった。
裁判所の「行強制執行の補助業務」というのもやった。それは支払いが滞った人の家に裁判所の大義名分のもと押し掛け、もぬけの空にしてしまうという、なんともやるせない仕事だった。「鬼〜、血も無いのか?」と強制執行をされる家人から何度も言われた。「いずれこのままではボクがやられる」と本気で思った。
しかし、本当に辛かったのは肉体労働の作業そのものではなかった。
日が暮れて「お疲れさま〜」と1日の作業が終了すると、ボクは公園の水飲み場で汗を拭いスーツに着替えた。
それは、 決してこれから会う知人達にバレないよう公園でも構わず裸になって汗くささを取る為だ。今思えば当時ボクができうる限りの最高のプライドを守るための行為だった。
でも、手や体をどんなにキレイに洗ってもツメの中に入り込んだ汚れは落ちなかった。そして何事もなかったように広告代理店や制作会社の知人達と会っても、指先だけは絶対に見られまいと、いつも手を握っていた・・・・。そんな自分がとても惨めで辛かった。
そんな生活がしばらく続き、「今はこんなプロジェクトをしてます」と他人に堂々と話せるまでに数年かかった。
経験してきた人並みな苦労話です(苦笑)ホント、人並みですけど。
こんな内容を書こうと思い立った理由としては、フリーランスって、想像していたより自由だし、想像していたより意外にも苦労した、ということをどこかでまとめて書いてみたいという衝動に駆られたし、また、この話がこれからフリーランスを志す方のために、「へぇ〜」そんなヤツもいるのか、という一助になれば、という思いから。
※本気で「フリーランサーってなんなの?」って思っている方は、パートナーシップサイトであるわきさんのブログ<「フリー*プランナーというお仕事について」>というところがお勧めでベストです。
ではでは。。
石山城 独立の時代〜ぴあ総研を退社して〜
今思えば「ぴあ総合研究所」(※現在はありません)にボクがどうして入れたのか?自分ではその経緯は不思議なモノであった。
それはーーー募集告知もしていない会社へいきなり履歴書と経歴書を送付したあげく、間髪入れず「履歴書を送らせていただいた者ですが、だまされたと思って1度お会いしてください」という強引なまでの面接を取りつけ・・・・気がついたら、結果的にボクは翌週から働くこととなっていたーーーという、今思うとなんとも強引なまでの若気の至りの経緯である。
まぁ、後から事情を聞けば、ちょうど結婚退社で辞める方がいて、募集告知を出そうかどうしようかと迷っているときにボクの怪しい手紙が来て、なんだかおもしろそうだから会うだけ会ってみれば、ということだったらしい。
どうやら人生というのはタイミングらしい。
そんな経緯であったにも関わらず、 ボクはバブル絶好調の時期ということもあり、「なぜディズニーランドばかりが流行って他のエンターテインメント施設は流行らないのか?」という、当時の看板プロジェクトのひとつである「あそびの研究」や、今の横浜桜木町開発に関係する「みなとみらい地域の文化構想施策」等々、多数の貴重なプロジェクトの経験をさせていただいた。
それから、ボクはそのぴあ総研がいろんな事情があった狭間に揺れるのをキッカケに退社した。 その当時、ちょうどバブルも弾けたばかり、という厳しい社会だったのは承知していた。
が、しかし、 いくつかの会社からも声がかかっていたのを鵜呑みにし、辞める時はなんのためらいもなかったのを覚えている。しかし現実は厳しいというのは言わずもがな。突然不景気に襲われ始めたボクが頼るはずの会社たちは皆、いそいそとボクの前から姿を消していった。
そして紆余曲折があり「もう独立してフリーランスになろう」と決心するも、なかなか営業がおぼつかない。それでもいくつかの広告代理店と直接付き合いがあったボクは、知り合いという知り合いを訪ねて回った。1日に銀座と築地を何度も何度も往復した。ちょうど季節は桜が満開であるにも関わらず、ボクの人生の花はすべて散ってしまったような気がするほど全滅だった。
生活が厳しくなってきた。
でも新規の話はいっこうになかった。
ボクは、心機一転し昼間に知人に訪問するのを辞めた。
昼は通常のアポで皆忙しいからだ。そんな時に羽振りの悪い奴がアポイント無しでおじゃまするのも、今考えれば実に辛気くさい営業そのものである。そこで、ここはいっそ「夜、仕事が終わってからたまには遊んでください」というアプローチに路線変更した。我ながらナイスなアイデアだと思った。
しかし、これは本当の理由ではなかった。
本当は生活が苦しかったため、昼は登録制の日払いの可能な肉体労働をした。
それらの仕事は、1日3件の引っ越しや、駐車場整理、工場内作業などだった。。 数年ぬるま湯の生活が続いたあとの肉体労働は本当に辛かった。
裁判所の「行強制執行の補助業務」というのもやった。それは支払いが滞った人の家に裁判所の大義名分のもと押し掛け、もぬけの空にしてしまうという、なんともやるせない仕事だった。「鬼〜、血も無いのか?」と強制執行をされる家人から何度も言われた。「いずれこのままではボクがやられる」と本気で思った。
しかし、本当に辛かったのは肉体労働の作業そのものではなかった。
日が暮れて「お疲れさま〜」と1日の作業が終了すると、ボクは公園の水飲み場で汗を拭いスーツに着替えた。
それは、 決してこれから会う知人達にバレないよう公園でも構わず裸になって汗くささを取る為だ。今思えば当時ボクができうる限りの最高のプライドを守るための行為だった。
でも、手や体をどんなにキレイに洗ってもツメの中に入り込んだ汚れは落ちなかった。そして何事もなかったように広告代理店や制作会社の知人達と会っても、指先だけは絶対に見られまいと、いつも手を握っていた・・・・。そんな自分がとても惨めで辛かった。
そんな生活がしばらく続き、「今はこんなプロジェクトをしてます」と他人に堂々と話せるまでに数年かかった。
2004/01/01
プロフィール パート2(読み物風味)
【石山城物語】
〜石山城がこの職業におちつくようになるまで〜
福島県福島市出身。
福島大学経済学部在学中に家業の一部門であったカフェバーを任される。そこで、集客目的と自己満足のため、そして、周囲のおだてにノせられ、若者対象の異業種交流会(Fuzzy Club)を設立する。
そこで数々のイベントを企画・運営するようになり仕掛け屋として目覚める。
時は丁度バブル全盛期。
当時、今までは社会の黒子的存在だった広告代理店や○○総合研究所、シンクタンクという職業が表舞台で脚光を浴び始める。なんとかプロデューサーっていうのもかなり流行った。
そこで、当時ボクはふとこう思ったんです。
「もしかすると、世の中は、ナニか、とある方程式で動いているのではないか?」と。
……そこで、むしょうにシンクタンクという仕事に興味を持つようになった。
まぁ、そんなこんなで家業であるお店も軌道に乗ったところで上京を決意し一念発起。 資金づくりで佐○急便で約半年間3トン車に乗り、1990年秋なんとか上京する。
で、翌年春まで、右も左も分からない上京生活の中、バイトに明け暮れるも、
募集告知もしてないにもかかわらず、勝手に履歴書と経歴書を送りつけ、なぜか…
(株)ぴあ総合研究所に拾われる。
そこで、まだバブル景気の最終局面であったことから「遊びの研究」「みなとみらい21文化施設方策」等、数々の看板プロジェクトに携わらせていただきプラニングの基礎を学ばせていただく。今思えばとてもバブリーなプロジェクトだったと思う。
その後、独立し基本的にはフリーのプランナーとなる。
ここ数年は、「Digital(BSデジタル、Web)」「Age(高齢者問題)」「Eco(環境問題)」を中心に、広告代理店やテレビ局などで、番組の企画制作や販売促進の企画などに携わる。主な代表作は「Products」参照。
また、99年から若者文化を独自の斬り口で分析した著書「Bible X〜裏原宿完全ガイド〜」(夏目書房)を発表し、若者文化に関わる作家活動も始める。
現 在までの代表的なプロジェクトとして、インターネット博覧会(インパク)パビリオンの数社の企画ディレクション、BSデジタル放送の番組の企画と制作、ま た、不定期ながらメールマガジンのコラム執筆等々…ありますが、最近は広告代理店を中心とした顧問やコンサルティングという立場で関わることが多い。
…と、今まで、結果的に、話題性のある「おもしろおかしいもの」
というプロジェクトが多いため、周囲の関係者から…
「テリトリーを決めない
節操のないプランナー」
と言われ始め、面白いのであえて否定せず21世紀を迎える。
まぁ、続きはどうなることやら(笑)
〜石山城がこの職業におちつくようになるまで〜
福島県福島市出身。
福島大学経済学部在学中に家業の一部門であったカフェバーを任される。そこで、集客目的と自己満足のため、そして、周囲のおだてにノせられ、若者対象の異業種交流会(Fuzzy Club)を設立する。
そこで数々のイベントを企画・運営するようになり仕掛け屋として目覚める。
時は丁度バブル全盛期。
当時、今までは社会の黒子的存在だった広告代理店や○○総合研究所、シンクタンクという職業が表舞台で脚光を浴び始める。なんとかプロデューサーっていうのもかなり流行った。
そこで、当時ボクはふとこう思ったんです。
「もしかすると、世の中は、ナニか、とある方程式で動いているのではないか?」と。
……そこで、むしょうにシンクタンクという仕事に興味を持つようになった。
まぁ、そんなこんなで家業であるお店も軌道に乗ったところで上京を決意し一念発起。 資金づくりで佐○急便で約半年間3トン車に乗り、1990年秋なんとか上京する。
で、翌年春まで、右も左も分からない上京生活の中、バイトに明け暮れるも、
募集告知もしてないにもかかわらず、勝手に履歴書と経歴書を送りつけ、なぜか…
(株)ぴあ総合研究所に拾われる。
そこで、まだバブル景気の最終局面であったことから「遊びの研究」「みなとみらい21文化施設方策」等、数々の看板プロジェクトに携わらせていただきプラニングの基礎を学ばせていただく。今思えばとてもバブリーなプロジェクトだったと思う。
その後、独立し基本的にはフリーのプランナーとなる。
ここ数年は、「Digital(BSデジタル、Web)」「Age(高齢者問題)」「Eco(環境問題)」を中心に、広告代理店やテレビ局などで、番組の企画制作や販売促進の企画などに携わる。主な代表作は「Products」参照。
また、99年から若者文化を独自の斬り口で分析した著書「Bible X〜裏原宿完全ガイド〜」(夏目書房)を発表し、若者文化に関わる作家活動も始める。
現 在までの代表的なプロジェクトとして、インターネット博覧会(インパク)パビリオンの数社の企画ディレクション、BSデジタル放送の番組の企画と制作、ま た、不定期ながらメールマガジンのコラム執筆等々…ありますが、最近は広告代理店を中心とした顧問やコンサルティングという立場で関わることが多い。
…と、今まで、結果的に、話題性のある「おもしろおかしいもの」
というプロジェクトが多いため、周囲の関係者から…
「テリトリーを決めない
節操のないプランナー」
と言われ始め、面白いのであえて否定せず21世紀を迎える。
まぁ、続きはどうなることやら(笑)
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