【石山城物語】
〜石山城がこの職業におちつくようになるまで〜
福島県福島市出身。
福島大学経済学部在学中に家業の一部門であったカフェバーを任される。そこで、集客目的と自己満足のため、そして、周囲のおだてにノせられ、若者対象の異業種交流会(Fuzzy Club)を設立する。
そこで数々のイベントを企画・運営するようになり仕掛け屋として目覚める。
時は丁度バブル全盛期。
当時、今までは社会の黒子的存在だった広告代理店や○○総合研究所、シンクタンクという職業が表舞台で脚光を浴び始める。なんとかプロデューサーっていうのもかなり流行った。
そこで、当時ボクはふとこう思ったんです。
「もしかすると、世の中は、ナニか、とある方程式で動いているのではないか?」と。
……そこで、むしょうにシンクタンクという仕事に興味を持つようになった。
まぁ、そんなこんなで家業であるお店も軌道に乗ったところで上京を決意し一念発起。 資金づくりで佐○急便で約半年間3トン車に乗り、1990年秋なんとか上京する。
で、翌年春まで、右も左も分からない上京生活の中、バイトに明け暮れるも、
募集告知もしてないにもかかわらず、勝手に履歴書と経歴書を送りつけ、なぜか…
(株)ぴあ総合研究所に拾われる。
そこで、まだバブル景気の最終局面であったことから「遊びの研究」「みなとみらい21文化施設方策」等、数々の看板プロジェクトに携わらせていただきプラニングの基礎を学ばせていただく。今思えばとてもバブリーなプロジェクトだったと思う。
その後、独立し基本的にはフリーのプランナーとなる。
ここ数年は、「Digital(BSデジタル、Web)」「Age(高齢者問題)」「Eco(環境問題)」を中心に、広告代理店やテレビ局などで、番組の企画制作や販売促進の企画などに携わる。主な代表作は「Products」参照。
また、99年から若者文化を独自の斬り口で分析した著書「Bible X〜裏原宿完全ガイド〜」(夏目書房)を発表し、若者文化に関わる作家活動も始める。
現 在までの代表的なプロジェクトとして、インターネット博覧会(インパク)パビリオンの数社の企画ディレクション、BSデジタル放送の番組の企画と制作、ま た、不定期ながらメールマガジンのコラム執筆等々…ありますが、最近は広告代理店を中心とした顧問やコンサルティングという立場で関わることが多い。
…と、今まで、結果的に、話題性のある「おもしろおかしいもの」
というプロジェクトが多いため、周囲の関係者から…
「テリトリーを決めない
節操のないプランナー」
と言われ始め、面白いのであえて否定せず21世紀を迎える。
まぁ、続きはどうなることやら(笑)
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